目次
1. 生い立ち
小西宏和 -こにしひろかず-
1983年11月9日生まれ。血液型:O型。
宏:広くする。大きくする。
和:柔らかになる。静かになる。仲良くなる。
このような想いを込めて命名してもらう。
2. 海と山に囲まれた愛媛県新居浜市
幼少期はとにかく負けず嫌い。
運動会では風の抵抗を減らすために
必ず「丸坊主」。
裸足で全力疾走。1位が大好き。
小学校に入り兄が通うソフトボールチーム
を見学。たまたま投げ返したボールを
褒められ、嬉しさのあまりすんなり入部。
どっぷりソフトボールにハマる。
ピッチャーで4番キャプテン。といった
絵に描いたような楽しい日々を過ごす。
中学では軟式野球部に入部。
ここで、初めてケガをする。
右肘の炎症が続き
ピッチャーから外野手への転向。
思うように出来ない苛立ちと
思春期、真っ只中で
気持ちのコントロールが出来ず
気持ちが折れる。
ただ、負けず嫌いがこうじて
外野手で結果を残すことが
新たな目標となる。
3. スポーツ推薦(野球)の声がかかる
中学で挫折を味わいながらも
良い成績を残したことを評価され
スポーツ推薦の声がかかる。
ただ、思春期という有り余る力が
周りとの衝突を生んでいたのも
この頃。
校長室に呼ばれ
「その力を野球に打ち込むという約束が
本当に出来るなら、こちらも承諾する。」
そう校長に言われる。
ここで何か歯車が
「ガコンッ。」と
入ったような感覚を得たのを
今でも覚えています。
(1) 入部早々に大怪我、手術。再び挫折
新居浜東高校へスポーツ推薦で入学。
周りからの期待。
やってやるぞという気持ち。
早く試合に出て結果を出さなきゃ。
という焦り。
このことばかりが
いつも頭の中を占めていました。
そして
痛ッ!!
やってしまいました。
練習中に大きく足首をひねり
右足首外側靭帯断裂。
簡単にいうと
外側のくるぶし下にある靭帯(じんたい)を
切ってしまいました。
足首が見る見る内にに腫れ上がり
痛みを通り越して
冷静な自分がいました。
レントゲンを撮ってもらい、先生から一言。
「靭帯、切れてるね。」と。
続けて
「若いから固定しておけば、
半年で治るでしょう。」
半年って。。。
目の前が真っ白でした。
藁にもすがる想いで
手術を決めました。
(2) 葛藤の日々
もう仕方ない。
そう思って、体づくりに専念した高一の冬。
入学当初は68kgだった体を、ひと冬超えて
78kgに体を仕上げました。
パワーが付き、練習では面白いように
打球が飛んでいきます。
生まれ変わったかのような打球。
もっと鍛えよう!
もっと大きくしよう!!
もっとパワーつけよう!!!!
トレーニングの虜でした。
いよいよ高2の春。
ひと冬超えた体で勝負する時が来ました。
スタメンにも選ばれ調子は上々。
バットに当たれば、ホームラン間違いなし。
そこまで気持ちは高ぶり、いよいよです。
ん?打てない。。。
んん??全く打てない。。。
そんな時もあるよな!
切り替えて練習、練習。
よし、練習での打球に
間違いなし。
いい感じいい感じ。
さぁまた試合!
今日こそは!!
んんん!!??打てない。。。。
んんんんんん????
打てない。。。。。。。。。。
さすがに悩みました。
今思えば、なぜそうなったのか
よく分かります。
練習では「打たせてもらえる」。
試合では「打たせてもらえない」。
ただただ気持ちよく
練習で打てるような
体を作ってました。
焦る。
でも、トレーニングは裏切らない。
追い込む。練習する。
そしてまた、怪我しました。
今度は、反対の足の靭帯を
伸ばしてしまいました。
(3) 根っからの負けず嫌いが顔を出す
目の前が真っ白から
真っ暗になりました。
信じてた物が全て
崩れ落ちるような感覚。
ここで
幼少期の頃から持つ
負けず嫌いが顔を出します。
繰り返す怪我で
気持ちが折れそうというより
どうしよう。という不安で
胸がいっぱいになりました。
でも、このままでは終われない。
そんなときにTVで
とある、車椅子バスケットボールの
プロ選手がインタビューに応えていました。
彼は将来を有望しされていた
バスケットボールの選手。
ある日
交通事故に遭う。
下半身麻痺。
今までは自分の身に起きることは
全てに意味があると思っていた。
ただ、その時ばかりは意味があるとは
思えなかった。
その言葉が、同じ状況ではないにしろ
自分に重なるところがありました。
続く怪我に意味なんて
何もも無いと思っていた。
だから
「意味が無いのなら
自分で意味をつくろう!」
そう思えた瞬間でした。
(4) 指導者を目指し、日本体育大学へ
総勢200名の部員がいる、硬式野球部へ。
厳しい上下関係を肌で感じる。
厳しさに揉まれながら
掛け替えのない仲間と支え合い
4年間野球に打ち込む。
最先端のスポーツ科学に触れ
体と、一から向き合う日々。
全国から集められた推薦組に
負けたくない。
その想いで1軍にも入り
都市対抗野球大会にも
出ることができました。
4. 教員への道。人生の転機。東京へ
1度目の採用試験で不合格。
2度目、3度目と不合格が続きます。
その間にアルバイトで入っていた
スポーツクラブにて
自分の本心を知る。
「教員になりたい。のではなく
身近でもっと人と関わり
トレーニングを通して
人をサポートしたい。」
そこに気づき
再び東京へ。
(1) 入社後、募る想い
パーソナルトレーニング専門の会社へ
中途採用で入社。
2年半、多くの経験を
させて頂きました。
恵まれた環境
切磋琢磨できる仲間
意識の高い会員様。
プロ選手のサポートや
メディアでよく見かける方々のサポート。
毎日が楽しく充実していたけれど
どこか胸に引っかかるものが
ありました。
鍛えることが主の会社でした。
トレーニングで追い込む。
その後に、しっかりケアをする。
笑顔で帰っていく会員様。
良いサポートができた。
その時はそう思うけれど
またお会いすると体は元に
戻っている。
これは根本から改善されていないのでは。
その想いからセルフケアに繋がる勉強を
始めました。
5. 28歳でフリーランスへ
現実は厳しかった。
自信とは裏腹に
初月の給与は8万円。
当時の家賃が9万円だったので
現実を痛感しました。
10件しか取れなかった予約を
3ヶ月で80件を超えるまで伸ばし
軌道に乗せました。
そして、3.11
東日本大震災。
地震と共に
多くのお客様の生活が変わりました。
自分の気持ちさえも揺るがす
大きな地震でした。
その頃から
ただパーソナルトレーナーとして
活動するだけでは
足りないと感じていました。
活動の場を広げ
会社様とのタイアップや
スポーツメーカーMIZUNO様のイベントに
講師として立たせて頂きました。
その後は
発達障害児童向けのスポーツ塾3店舗の
立ち上げに人事として関わりました。
(1) 出会いと縁に支えられて、法人設立
このように
パーソナルトレーナー以外の
様々な活動に関われたのは
出会いと、ご縁があったからこそです。
良縁と子宝にも恵まれ
長女が生まれた年の2018年8月に
法人化しました。
会社は3期目に入り
パーソナルトレーナー業以外にも
健康機器の監修。
またバレエ団で
プロを目指す生徒へ
動きの根本である体の使い方を
教えている教師でもあります。
6. 最後に。情報発信に込めた想い
今ではいくつかの事業に携わり
考え方や、運動スキルを
伝えています。
その中で僕にとっての情報発信とは
「出会いと、縁を繋ぐもの」
だと思っています。
投稿した内容が
必要としてくれた方と出会い
同じように
縁と感じて頂けるのであれば
こんなに嬉しいことはありません。
これからも情報発信を通して
「出会いを大切に
縁で繋がった方と共に
成長していきたい」
と思っています。
ここまで紆余曲折ありますが
「意味がないなら
自分で意味をつくろう」。
これから何が起きたとしても
この想いさえあれば
失うものはないです。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
引き続きよろしくお願い致します。
株式会社リモーションジャパン
代表取締役 小西宏和